小さい頃に母が死んだので、兄ちゃんと俺は親父に育てられた。 まあ不器用な人だったから、素直な兄とは違って、俺はいろいろ親父と衝突した。それでも兄弟二人、無事に社会人になり、両方合わせて5人の孫を親父に見せてやれた。 そんな親父がガンで入院。もう助からないのでモルヒネで痛みを和らげて最後を待つ日々になった。モルヒネの幻覚作用で訳の分からないことばかり口走る親父を見て、夢見ながら楽に死ねるのがせめてもの救いかな、なんて兄ちゃんと話していた。 ある日、俺が付き添ってるとき、急に俺の手を握って真顔になり、「ちゃんと飯くってるか?風呂入ってるか?病気とかしてないか?」とか心配し出した。「ああ、大丈夫だよ」と答えると、手に力を込めて「父さん、お前のこと分かってやれなくてごめんな」と言った。それきり、また幻覚の世界に戻っていった。 親父が死んで遺品を整理していたら、小学校の頃の作文とか通知票とか、社会人になって初めての給料で買ってあげたネクタイとか、いろんなものが詰まった衣装ケースが俺の分と兄ちゃんの分、宝物のように大事にしまってあった。母が死んでから再婚もせず、好きな釣りもやめて仕事と子育てに追われるだけの日々を送った親父。これから孝行してやれたのに。早すぎるよ・・・せつないよ・・・。 5年前、女房が男を作って、4歳の息子を残して家出した。 母親を求めて泣きわめく息子を最初は正直疎ましいと思った。1週間もすると、二人とも現実を受け入れなきゃならないと痛感するようになり、そのうちに男どうしの生活もうまく回り始めた。 慣れない家事をやってるうちに、何もかも女房任せにしていた自分も悪かったかなとか思うようになった。1年もすると、料理や家事もそれなりに上手くなり、息子とも最高に仲良くなれた。 突然、女房に雇われたという弁護士から連絡が入った。俺と正式に離婚して、さらに息子を引き取りたいと言う。なんでも女房の相手は結構な金持ちらしく、あちらも奥さんとの離婚がやっと成立したそうだ。ふざけるなと言う俺に、裁判をすれば親権は100%母親に行くと弁護士は強気だった。 その夜、風呂に入りながら息子に「ママがお前と暮らしたいって言ってるけど、どうする?」と聞いてみた。案の定、息子は目を輝かせながら「いつ?いつ?」とはしゃいだ。息子が嫌がったら絶対に渡さないと思っていたけど、あの目を見たら、俺と暮らそうとは言えなかった。 いろんな手続きがあって、息子は(元)女房のところへ行ってしまった。数週間後、俺の口座に大層な金額が振り込まれていた。その日に届いた手紙には、息子は新しい父親に懐いているから、もう会わないで欲しいと書かれていた。 ドブに捨てるような使い方をしてやろうかとも思ったが、その金には手を付けないことにした。 息子が成長して免許を取ったら、車でも買ってやろう。それまで俺のことを覚えていてくれるだろうか。
拾ってきた話しなのでホントかウソかはわかりません。
辛いけどかっこいいです、両親を大切にしようと思う話しでした。
また拾ってきます。